冬の風鈴
牧野信一

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【テキスト中に現れる記号について】

[#]:入力者注 主に外字の説明や、傍点の位置の指定
(例)あれ[#「あれ」に傍点]

/\:二倍の踊り字(「く」を縦に長くしたような形の繰り返し記号)
(例)伸び/\
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 三月六日
 前日中に脱稿してしまはうと思つてゐた筈の小説が、おそらく五分の一もまとまつてはゐなかつた。それも、夥しく不安なものだつた。ひとりの人間が、考へたことを紙に誌して、それを読み返した時に自ら嘘のやうな気がする――それは、どちらかの心が不純なのかしら? この頃の自分は、書き度いことは全く持つてゐないと云ふ状態ではないのに。
 言葉が見つからないのか!
 今日になれば、あれ[#「あれ」に傍点]もこれ[#「これ」に傍点]もあきらめてしまはなければならない――など今更のやうに思ふと、形のないあれ[#「あれ」に傍点]やこれ[#「これ」に傍点]が今にも形になりさうな気忙しさに打たれ、かと思ふと反つて晴々しくホツともした。
 母が、どんなに気をもんでゐることだらう! どんなに待ち佗びてゐることだらう!
 そんな思ひ遣りで、一つは事務的な鞭韃を自ら強ひ
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