耽念に日記をつけてゐる。
年の暮に、自分の手を引いて書店に行く母は、
「博文館発行の当用日誌を――」と尋ねるのが常だつた。大晦日の晩に、その年の最後の頁を終ると、自分は覚えてゐる、母は、可成り仰山に感慨を含めた動作でパタリと日頃とは稍違ふ音をたてゝ閉ぢ、箪笥のやうな開きのついた黒い文庫の錠をあけて、厳かにこれを収めた。そして改めて坐に戻るとこの手文庫の蓋をあけて代りの新しい日記帳をしまつた。自分は、毎晩母と机を並べて、母から初歩のナシヨナル・リーダーや、スヰントン・リーダーとか、論語などの講釈をきいたのであるが、その頃には自分の前で母は日記を丁寧につけてゐるのであつた。――これは余外な附りだが、母は、リーダーをりいどると発音した。この町に初めて英語を輸入したといふローマ旧教の日本人の老宣教師から習つたといふ何らのアクセントのない発音で、いろはを読むと同じやうな調子でシーダボーイエンドダガール(See the boy and the girl.)とか、スプラーシユドダオーター(Splashed the water)とか、スピンアー[#「アー」に傍点]トツプ、スピンアー[#「アー」に傍点
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