どにも菲薄な望みが、動物的な眼を視張つてゐたのだ。だから東京にゐる間も、あんな吐息をつきながらも何処かに薄気味悪い落つきを蔵してゐた。
 だが、自分は、いよ/\となつた今、思はず腕を凝固させてしまつたのである。自分の右腕は、あのやうに浅猿しい姿に変つて生気なく転げてゐた。――自分は、その薪のやうな腕を拾ひあげると、ボコボコといふ音をたてゝ木魚に似た頭を、痴呆的な顔をしてセツセツと叩いてゐた。……「あゝ、俺は旅に行かなければ救はれない。」
 母は、昔から日記をつけてゐるのであつた。その手文庫の中には母の今年の日記が入つてゐる筈だつた。
 自分は、それを偸み見ようと計つたのである。偸み見て、小説の材料にしようとたくらむだのである。
 何故母の日記に、自分が左様な醜い好奇と、自分にとつては小説的どころではないが或る意味で小説的な誘惑を強ひられるか? 何故自分が斯んなにも浅猿しい亢奮をするか? の記述は省くが、あの「親不孝な男」を読んだ人にだけは想像がつくかも知れない。――この頃自分は、親しく往復してゐる友達からも、どうも君のこの頃書くものは好くない、退屈だ! と云はれてゐる。
 母は、昔から
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