、余りにあつけ[#「あつけ」に傍点]ない格構ではないか、大風が吹いたら何うするつもりだらう――などと云つて嗤つたことを思ひ出したが。
テル子のサインを求めるための頁を私は開いて、治療の済むのを待つてゐた。その頁のゲーテの詩抄は、
「今はたゞ朧に見ゆるのみ、青春の夢、失ひたる恋の悩み、いと深き狭霧の彼方――」とあつた。笑止――。三原商店のテル女は、当時近隣の評判娘で、私の悪友であつた。
三
テル子を待つ間に私は、一階に降り、その巨大な昇降機が七階までの一往復に要する時間を験べたいので、そのまゝ乗り続けてゐたかつたのであるが挙動不訝を疑はれさうなので、その辺を上の空で一回りしてから再び行列に伍して箱の中へ入り、凝つと腕時計を睨めてゐた。私は歯科室に通ふ頃験べたのであるが、この昇降機は六十の馬力を持ち満員にすると九十名までは登載せしめ得る事が出来た。私は、はじめ昇降機《リフト》の速力などといふものは登載物の有無に関はりはないものかと思つてゐたのであるが、詳さに験べて見ると、その軽重に依つて微妙な変化のあることを見出した。五階まで直行、そして六階に停り、七階まで或時は一分三十
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