秒を要し、また一分十秒、さうかと思ふとたつた四十秒のこともあつた。四十秒の時は二三人の乗員であつた。
 さつきの下降の時は一分四十秒を費し、今度の上昇は恰度一分であつた。私は、完全の空と満の場合の差違を知りたかつたが、いつか一時間あまりも夕暮時にその機会を窺つたが空の場合に出会ふことは出来なかつた。私は、斯んな大きなリフトが人二三の軽重に依つて速力の影響を見るのに、つまらぬ親しみを覚へたりしたのである。この昇降機は三十分のうちに約十回の往復をする。
 そんなことを思つて私が七階の昇降口を何時までも凝つと視詰めてゐた時、私の傍で恰度私と同じやうに腕を組み眼を据て同じ角度に向つて深い思索に陥つてゐる怪し気な紳士が居ることに気づいた。そして彼は私が気づいた事も知らずに益々熱心に両眼を輝かせ、時々慎重に指折して何事かを数へたり、微かに点頭いたり、太い溜息を衝いたりしてゐるかのやうであつた。客が降りて来ると片隅に退き、降つて行くと、サツと入口の扉の所へ駆け寄つて、少しく大業に形容すると、石の落ちて行く感度に耳を傾ける芝居の丸橋忠弥見たいに首を傾げて、ギヨロリと上眼をつかつたまゝ(昇降機が降つた間際にはその辺に人影がなくなる瞬間である。)凝つと、降つて行く箱に呼吸を合せてゐるらしい不思議な深呼吸を続けてゐるのだ。私は、昇降機よりも反つて彼の挙動に興味が涌いたので、ずつと後方に退いて秘そかに彼の運動を注意してゐた。下降客が戸口に集り、1・2・3・4・5――と昇降機が再び針を回して昇つて来ると彼は、指針が7に近づくまで乗客のやうにそれを視詰めてゐるが、いざ到着すると素早く片方に身を退けて、下降の客が乗り切るまでのほんの束の間、巧に空呆けて白を切り、さて間もなく下降の段になると、またしても丸橋忠弥に早変りである。
 若しかすると自分も先程《さつき》は彼と似たやうな芝居を演じてゐたのかも知れない――斯んなに群衆の出入が夥しく、凡そ足跡の絶間は十秒の間もなさゝうに思へるのであるが、斯んな処で斯んな風に敏活に呼吸を窺つて、身を換してゐれば、あんな奇体な動作を繰り反してゐても誰の眼にも触れずに済むものか、斯んな合間でこそ反つて大胆な犯罪などが行はれるといふものか、実に雑鬧の流れの合間には、束の間のエア・ポケツト見たいな白々しい間隙が生じてゐるものだ――などと思ふと私は不図、先達て吾々の総理大
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