宛の署名のない手紙を渡された。封を切つて見ると、
「あたしは結婚しました。」といふお光さんの手紙であつた。そして、結婚をして今は幸福であるが、そんな幸福には満足出来さうもない、やがてまた酒場の女になるであらう――といふ風な猛々しい放浪思想が窺はれる意味が誌されてあつた。
「おい、先程から質問の具合が何うも尋常ではないと思つてゐたんだが、お前も、昇つたり降りたりのエレベーター病にとり憑かれてゐるんぢやないか。その眼の瞑り具合で俺にはお前の頭の中が、はつきり解るぞ。」
さう云つた樫田の声で私は目を開いて見ると、私は小鳥の箱を胸先きに構へて、洋盃のやうに、そして昇降機のやうに静かに上げ下げしながら首を傾げてゐたのであつた。――なるほど、さう云はれて見ると、小鳥の箱は、月世界に着いたかと思ふと、一分半で奈落に降り、1、2、3……の指針灯の明滅が星の瞬きに見えて、昇つたり降つたり、止め度がなかつた。乗つたり降りたりする客の中に、お光さんの姿が見えた。栄吉君もゐた。テル子もゐた。林ドクトルもゐた。樫田もゐた。そして、何時の間にか私が愉快な運転手であつた。
「やあ、面白い/\……何云つてやがるだい、彼奴は何だ、何を俺の面ばかり見てゐやがるんだ、ハツハツ……」
「おや/\、オツなことを云ふね。手前のすることが気障ツぽくて少々疳が高ぶつてゐたところなんだぞ。」
不図私の眼の前に赤鬼のやうに怖ろしい顔の巨漢がぬつと胸を突き出した。私はその男の熱い熟柿の吐息を顔に感じた。
「馬賊のピストルといふのは俺のことだ。この界わいではちつたあ顔が利いてるピストルの前で何処の唐変木か知らねえが余り気障な寝言を吐いて貰ふめえぜ。一体手前は何処の何奴でえ!」
六
私は、昇降機がスイスイと天上する面白さに恍惚として、お光さんの夢を追つてゐたところだつたので、そんな親父の啖呵なんて耳にも入らなかつた。親父は再び一隅の自分の座に戻つて、両眼をすゑて、さも/\憎たらしげに此方を睨めてゐるのだが、陶酔者の頭なんてものは、我ながら思へば不憫なもので、それも、何だか此方のしぐさをたゝへて、感心してゐる者のやうに思へたりしてしまふのであつた。――さう云へば、もう其処は先程の酒場ではなくつて「大関」のナダヤであつたのだ。此処は去年の夏頃友達の小林秀雄に依つて知らされたのみや[#「のみや」に傍点]で、二
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