ると工学士は、突然グツと胸を反らせ、
「うむ――それだ!」
と実に重々しく唸つた。「空が三十五秒――満載が、三分、往復で……」
彼はこれだけ説明したゞけで、何となく憤とした顔つきに変り、間もなく静かに眼を瞑りながらハイボールの洋盃を撮みあげると、己れの胸から頤に平行に徐に頭の上まで吊りあげながら、
「俺はその時差の短縮に没頭してゐるんだよ。近々彼処にあと二台の同型が備へつけられるんだが――俺はこの仕事を単独で、それまでに完成したい念願なんだ。何しろお前今のまゝでは一回の往復に三十銭足らずの動力費がかゝるんだからな。」と云つた。
私も彼のコツプと同じ高さまで自分のをまたエレヴエーターのやうにおもむろに持ちあげ、
「その仕事の完成を祈るぞ。」といつた。昭和通りの露地にあるアラスカの山の名前をとつた酒場である其処のスターであるお光さんは私が作る叙情詩の愛誦者である。
五
昇つたり降つたり――。
樫田は、夢でも、昇降機より他はない! と繰り反しながら、洋盃《こつぷ》をそのやうに上げ下げして、苦心の程を語つてゐるうちに、感傷家になつてしまつた。そして自分は何んな部屋にゐても、ちよいとハンドルを廻すとそれ[#「それ」に傍点]がスースーと上下する想ひにばかり打たれてゐる、昨夜の夢では、月世界と地獄を往復した――などゝ沈鬱な表情で呟いだ。
「それはさうと、お光さんの姿が見えないやうだが……」
私は、花束と目白がことことゝ動いてゐる小箱を持つてゐた。花束は先程三越の七階へ赴いて買つて来たフリジアである。目白は何時か酔つた友達が仲通りの街角で買つたと云つて――その頃私はその友達と作品の批評のことから仲違ひをしてゐたが、握手をして、小鳥を空に放つて、爽々しくなつた事があつたので、お光さんが若し不気嫌であつたら、詫の言葉と共にこれを放つにしくはない! と考へて、大道を探して買つて来たのである。私は、お光さんと、或日、テル子といふおば[#「おば」に傍点]さんや吾家《うち》の細君も共々に活動を観に行かうといふ約束をして、賛成されてゐたのであるが、風を引いて二十日近くも外へ出られなかつたのである。お光さんは期待してゐたに違ひないのだが私は、明日は/\と思つてゐたので電話も掛けなかつたのである。
お光さんのことを口にした時、酒場の人に思ひ出されて、其処の気附で来てゐる私
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