妾――昨夜からちつとも眠れなかつたわ。」
「百合さんの不眠症なんて信じられないようだが。――それで、ベロナールなんて持つてゐたんだね。だけど、あんなものを常用すると毒ださうだぜ。」
「いゝえ、違ふわよ。それはあの人達に……」
と云ひかけ百合子は、急に立ち止ると、滝本の胸に凭りかゝつて、
「ね、斯んなやうなところ何かの芝居にありさうぢやないの――科白よ。」
と戯れた。「一服盛つてやるつもりで、わざ/\取り寄せて置いたのでございますわ。」
そして彼女は、滝本の胸に顔をおしつけて堪らなさうに失笑《わら》ひを怺へた。それから彼女は、これから行つて見て未だ二人が寝込んでゐたら一層のこと、そつと牢屋の中へ投げ込んでしまはうか、眼を醒して驚く奴等の顔を見てやりたい――などと云つた。
書院の前まで来ると、百合子は再び雪洞に灯を入れて、暫く滝本に其処で待つてゐて呉れと云ひ残して、ふわ/\と駆け出して行つた。何処にも灯りひとつ見えない長い廻り縁を伝つて行く百合子の姿は恰で宙を駆けてゐるやうに見えた。それまで気づかなかつたが、羽織の下の百合子の服は、真ツ白な長い袴《スカート》だつたので、それが灯りの
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