背上に百叩きの責苦を加へた拷問の鞭が、百年の年月の経過も知らぬ風情に、急用の役にも立たんと云はんばかりに掛け放されてある。また眼を庭園の彼方に放つならば昼も薄暗い崖の辺りからは源を遠く五里の山奥の古沼に発した堂々たる水勢が勢ひ余つて滝と溢れたかの如く、不断にきらびやかな水煙を放つてゐる態を見出すことが出来る。滝は満々たる水を池に湛へて、舟を浮べ、水鳥を遊ばせ、期節になると雁を呼ぶ――池の水は更に庭の中へ招び込まれて、床下を鯉が泳ぐ泉水となつて離れの茶屋から書院の窓下を流れ饗宴の広間の前に来て悠やかな渦を巻いてゐる。放飼ひに慣れた一番《ひとつが》ひの丹頂が悠々と泉水の合間に遊び、橋を渡つて築山の亭《ちん》のほとりで居眠りをしたり、翼を伸して梢に駆り空に呼応の叫びを挙げたりしてゐる。書院の裏手にあたる中二階造りの納戸部屋から蔵前に至る径は凡そ十間あまりの長廊下が泉水の末端を跨いで掛け渡され、現在でも廊下の往来には昔ながらの朱塗の雪洞を翳してゐた。「南方の騎士」達は、登山用のロープを用ひて塀側の木枝から蔵の裏手に降りると、鶴の舎《こや》の蔭に身を潜めて、納戸の窓から合図する百合子の雪洞の揺れ
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