して来て下さい。」
「R村でも負ん気で、毎晩の練習時間を十時まで繰りあげたさうですぜ。」
 すれ交《ちが》つた野良帰りの人達が彼等の姿を見ると、頼もしさうにして斯んな言葉を掛けた。
 やあ/\! など、晴々しさうに手を振つて行き過ぎるが、此方にとつてはそれどころではなかつた。――以前滝本はあの海辺の家にあつた実生活に要のない様々な道具類などを、間もなく彼処を引きあげるつもりだつたので武一に謀つて、森の家の土蔵に預けて置いたのであるが、今やこれを再び持ち出して売却しなければならなかつた。翌月になればもうローラが到着するといふのに滝本の生活の方針は恰で有耶無耶だつた。武一も亦、就職の目当がつかずこの先百合子を保護するためには、何うせもう父親が顧みてゐない蔵の中の巻物とか金銀とかを運び出して兄妹の上京後の当分の生活費に運用しなければならない破目だつた。土蔵は篠谷の手に依つて個人的に封印されてゐる状態だつたから、この行為は或種の犯罪に相違なかつた。その上また滝本に就いては、それらのものに至るまでの所有権云々に関して堀口剛太が邪な監視の眼を輝かせてゐるので、何うしても彼等は夜盗の手段を執るより他
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