に所理《しより》してしまふ百合子の態度に、滝本は反つて教へられるところが多いやうな気がした。
「妾、二三日此処に泊つて行つても好いでせう。少し、此方で遊んでゆきたいの。」
「…………」
 滝本は、即座に返事も出来なかつた。百合子の、曇り気のない顔を、ぼんやり眺めただけだつた。
「守夫さんは、何時頃東京へ行くつもり?」
「この仕事が、多分今月中には出来あがる筈だから……」
 机の上に拡げてある翻訳の仕事を、滝本は指さした。
「そしたら――」
 と百合子は、言葉を絶《き》らずに急速に云ひ続けるのであつた。「アパートを借りて、私達と一緒に生活しないこと? 妾と、兄さんと、三人で……皆なで、働くようになつたら愉快ぢやないこと!」
「それは好いだらうな。」
 父親が没なつた後の家庭上の紛擾と戦ひながら、斯んな処に堅苦しく籠居して、日増に厭世観を高めて行く自分を思ふと、滝本は、自身に怖れを覚えた。
「妾、お父さんが、そんなつまらないことに因縁をつけて、とても不機嫌さうに眉をひそめてゐるのを見て、酷く、がつかりしたわ。怖くも、口惜しくも何ともないの――たゞ、もつと、はつきり云つたら好さゝうなものだと
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