て置くんだよ。で、百合さんは、何時帰つて来たの?」
 と、百合子は、それには答へないで、
「ね、守夫さん――」
 と仰山に眼を視張つて、問ひ返した。――「うちの兄さん来なかつた?」
「二三日前に、一度来たけれど……」
「それきり?」
「あゝ、何うして?」
「ぢや、矢ツ張り、妾と行き違ひに東京へ行つたんだ! いゝえ、そんなら、それで……」
 百合子は、独りで点頭きながら、窓枠に腰掛けたまゝ靴を脱ぐと――これは、そつちの方へ隠しておいてやれ――と、卓子《テーブル》の下の方へ投げ込んだ。
「僕には、何とも云はなかつたぜ。」
「さうでせう。まあ、いゝわ。」
 百合子は部屋に入ると、滝本が今迄腰掛けてゐた回転椅子に凭つて、
「田舎の春は好いな――妾、昨日から学校が休みになつたので、今朝、帰つて来たのよ、そしたらね――」
 と、至極長閑な調子で、含み笑ひをしながら続けるのであつた。滝本は窓枠に乗つて膝を抱へてゐた。毎日/\、窮屈な思ひばかり続けてゐたせゐか、百合子の明るい態度が眼《ま》ぶしいやうであつた。
「只今ツて、お父さんのお部屋へ行つて挨拶すると、お父さんたら、まあ何うでせう、物をも云はずに
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