罵り合ひの理由を伝へるわけにはゆかなかつた。「百合さんには、あの人はあの時何んなことを云つたの?」
「何だか好くはわけがわからなかつたけれど、妾が此処に泊つてゐることを誤解してゐる見たいだつたわ。」
「――侮蔑を感じなかつた?」
 滝本は、おそろしく眼を視張つて百合子の気色を窺つた。
「何うして……?」
 百合子はけげんな顔をして、軽く首を傾げた。――そして稍間をおいてから、掌で嗤ひをおさへながら、
「そんな、侮蔑なんて――そんなもの妾には解らないわ。」と云つた。滝本は、訊ねきれぬものが多過ぎて、途方に暮れた。――寝室に駆け込んで、突ツ伏してゐる百合子の姿が、あのまゝで、何時の間にか薄ら甘い疑問の、そして夢のやうな画になつて印象に残つて来た。白昼の架空に描いた幻のやうに見えたり、古風な物語の中のアカデミー派の挿画の一つのやうに、眼の先の百合子の姿から遊離して、頭の一隅に映つて見へてゐた。
「兎も角一度家へ来るようにツて母さんが今迎へに来たんだけど――それはね、世間態なんですつて、此処に居ることが許されないんですつて――」
「それは当然のことかも知れないね。」
「だから妾、黙つて従いて行
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