堀口が滝本へとも百合子へともつかず左う云つて夫人と一処に其処を立去つた。滝本は堀口は寧ろ曇り気のない愉快な人物であると思ひ直した。
「あれから、ずつと起てしまつたの――散歩にでも行つてゐたの?」
「……直ぐ、あの時百合さんの後を追つて此処に来て見ると、ドアに鍵が降りてゐるようだつたから――」
「いゝえ、妾、鍵なんて降しはしなかつたわよ。」
 では、あまり慌てゝ感違ひでもしたのだらうと滝本は思つたので、
「僕はあの時百合さんが傍に居るなんてことは少しも知らずに、堀口さんと思はずあんな喧嘩をしてしまつたけれど、若し、あれが、もう二三言続いたら僕は夢中になつて外へ飛び出して行つたかも知れなかつたよ。百合さんが傍から受話機を引つたくつて呉れたので――幸せだつたんだらうな。」
 と、胸のうちに震へを覚へながら呟いだ。
「そんなことになるだらうと思つて妾も、いきなり仲裁に入つたんだけれど、それにしても、やつぱし昨日と同じ原因で、あの張札かなんかのことで、堀口さんと、あんなことになつたの?」
「…………」
 堀口が何んな類ひの雑言を放つたか百合子は気づいてゐないと見へる――と思ふと滝本は、決してあの
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