のを、ちつとも気づかなかつたでせう。ところが、いくら夢中になつて吹いても、さつぱり鳴らないぢやないの、力一杯吹いても……」
 百合子は滝本のコルネツトを携へて来て、何うしたら鳴るのか? と質問した。
「吹竹を吹く見たいに幾ら力一杯吹いたつて鳴りはしないよ、斯う唇を絞《しぼ》めて、先に唇を鳴しながら――」
 滝本は、一音階を急速に吹き鳴した。
「あゝ残念だつた。悸《おど》し損つてしまつた。」
 あの時、突然耳もとで、斯んなものを吹かれたら自分も堀口も、思はず飛び上つたであらう、薄暗がりの中で――と滝本も、何となく残念に思つた。
 海辺に向ふ松林の中を、二人は微風に吹れながら歩いてゐた。百合子が、何か唱歌でも吹いて見ないか? と云ふので、滝本は、オーバ・ゼ・ウエイヴ・ワルツなどを、調子高く吹奏した。
「此方を向いてゐても、家の方まで聞えるかしら?」
「風があるから聞えるだらう。」
「堀口さんにも聞へたでせうね。それにしても守夫さんは、自身の仕事の他では、それ[#「それ」に傍点]が一番得意?」
「中学生のうちからだもの。」
「東京へ行つて仕事が見つからなかつたら、ダンス・ホールのバンドに入つ
前へ 次へ
全106ページ中11ページ目


小説の先頭へ
文字数選び直し
牧野 信一 の一覧に戻る
作家の選択に戻る
◆作家・作品検索◆
トップページ 登録 ご利用方法 ログイン
携帯用掲示板レンタル
携帯キャッシング