の、まごつきはしなかつたの、初めてゞ?」
「初めてぢやない、二度目なんだよ。」と、私は、それだけは、はつきり云つて、直ぐに愚図/\と口のうちで――「でも、初めても同じやうなものだし、まつたく何ンにも厄介なこともないんだが、いつでも俺はあゝいふ処へ行くと、まるツきり悸々してしまつて、だから俺は銀行や郵便局見たいなところへだつて滅多に入つたことはないんだが――これは、つまり極く平凡なおとなしい人民の……あゝいふ空気を畏れるといふ習慣は祖父からの教育――悪い習慣ではないと思ふんだが、不便なことが……」などと、愚にもつかないことを呟いでゐた。祖父は、町の衛生検査員が来ても心からの畏敬を示す人だつた。頼んで居て貰つた警官が、
「官服を脱いだ時には、そんなにされては困りますよ、加けに私は若いんですからなア。」と云つて、夕涼みに来る時などは頭を掻いても、子供の私が足を投げ出してゐてさへ厳しく坐り直させた。
「口が利けたの?」
 それには答へないで私は、上眼を使ひながら云つた。「……ところが変なんだ。名前がだね、SぢやなくつてH・タキノなんだらう、向方ではつまりHとして俺を取扱つてゐるんだらう!」

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