私は、彼女の今迄のあの場合の動作を細かに回想して、その巧みであつた芝居に舌を巻いた。
「御免なさい。」
 彼女は、顔をあげてきまり悪さうに笑つた。
「あやまらないでも好いだらう。」と、私は、喉のあたりで唸つた。――起きあがつて、椽先の水溜りを眺めた。こんな陽の中でも、仔細に注意したら微かに息の煙りが見えやしないかな――そんな心持で私は、自分の生温い息をそつと窺つてゐた。
 周子は、叱られた子供のやうに両袖で顔を覆ひ、耳まであかくして畳に突ツ伏した。そして、どういふつもりなのか? 笑つてゞもゐるのか? 神経的にブルブルと首を横に振つてゐた。良子の顔は、私は見なかつた。

[#5字下げ]六[#「六」は中見出し]

 久し振りに保養に来たせいか、いろいろな疲労が一途に現れて当分の間は元気もなかつたが、それも次第に回復して来たらしい、今では努めて若労を避け、ひたすら療養を事としてゐる、折角だから日限を定めず暫く呑気に滞溜してゐたいと思ふ、だから当方には関はず帰京したくなつたら何時でも遠慮なくその儘そちらは其処を引きあげても関はない、私は成るべくならば秋冷を覚ゆる頃まで滞在してゐたい――修善寺温
前へ 次へ
全78ページ中57ページ目


小説の先頭へ
文字数選び直し
牧野 信一 の一覧に戻る
作家の選択に戻る
◆作家・作品検索◆
トップページ 登録 ご利用方法 ログイン
携帯用掲示板レンタル
携帯キャッシング