いよ、何をつまらないことを云つてゐるのさ! 阿父さんは、死んだんぢやないかね、去年。」
 おろ/\として祖母は、云ひ含めてゐた。私は、その時になつて初めて彼の様子の怪しさに気づいた。
「ふゝん、意久地なし奴! 手前えは何処の婆アだ! 毒を呑ませるのか、俺に……、誰が呑むものか、皆な吐き出してしまふぞウ――ギヤア、ギヤア、ギヤア――だア!」
 そして、私が襖の蔭から覗いてゐると彼は、理由もない聞くに忍びない文句でさんざんに祖母を毒づいてゐるのであつた。――……私の眼からは、気づかぬ間に涙が滅茶滅茶に流れ出てゐた。子供の私が、涙を滾しながら、声を挙げなかつた経験はこれ以外に覚えは無い。
 私は、煙りにいぶされた時のやうに胸苦しく五体が咽び、ぼうツと溶ける思ひがした。家の中が洞穴のやうに見えた。そして、キラキラとする眼に叔父と祖母の姿が水底に住む魚のやうに物憂く蠢動し、激しく水を蹴り、近寄り難い別世界を覗いたやうに、怖ろしく暗く綺麗に映つた。――この痴呆的恍惚から私が引き戻された時は、叔父が叔母の襟髪をとらうとした刹那だつた。私は、キヤツと叫んで襖の蔭から躍り出ると(母も、キヤツと叫んで私を
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