らね、思ひやりで……」
 母は、尚も同じことを云つて、周子の顔を見たり、天井を眺めて仕様ことなしにあんぐりと口をあけてゐる私を見降したりした。
 私は、いちいち周囲の言葉に拘泥して、いぢけた不自然な憶測を回らせたりなどしながら、我とわが身を卑屈の谷に落して行く、鬱陶しさに自ら酔つてゐるのではないか? などと思つた。
 周子と結婚してから丁度五年経つてゐるが、その間、今に限らず、また母に限らず、何処に住んだ時にも私は、これと同じ言葉を常に彼女からも聞いてゐるのだ。常々のそんな性質を忘れて、何か勿体振つた鬱屈の種を私は探さうとでもしてゐるのか? 学生の時分夏休みで帰つてゐる間(夏休みには限らない、春も冬もその休暇を私は、勝手に前後を延して帰郷してゐるのが常だつたが。)やはり同じ意味のことを、母の口から、そして、その頃ずつと吾家で暮してゐた母方の祖母の口から、聞き飽きる程聞いてゐるのだ。たゞ、当時の母の小言は、今のと反対に攻撃に富んでゐた。
「朝寝坊と、ごろごろ[#「ごろごろ」に傍点]が治らないうちは貴様はとても駄目だぞ。」
 祖母は、時々疳癪を起して斯う云つた。
「何が駄目なの?」
「――
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