、他の者でなくつて好かつたといふ風に悸々《おどおど》した眼をあげて、
「早く入つてしめろよ。」といふのが例だつた。
こゝでも私達はよく口臭に就いて争つた。
「他人《ひと》のことばかり云ふねえ、ぢやお前のはどうよ。」と彼は、低く笑つて、だが、決して相手に悪寒を抱かせない調子で云ふのであつた。
私は、母の厳密な検査をうけてゐるので自信があつた。――それが若し、彼がこゝで他の者のやうに生真面目に私を享け容れたならば、あれだけで済んでしまつたのだが、私がハアツと試みると彼は、
「ウツ、臭い/\。」と仰山に顔を顰めるのであつた。それが嘘であることを私は思つてゐるので、そして彼の態度に妙に可笑しく私を引きつけるものがあつて、私は、非常に面白がつて、ゲラ/\と腹を抱へて笑ひながら厭がる彼の顔に噛りついて、ハアハアと吹きかけるのであつた。彼は、救けて呉れ/\、あれを嗅がされては死んで了ふ! などゝ云ひがらもぐり込むのであつた。――他の者との場合で、そんな経験がないので反対に私は、何か異様な武器を持つたお伽噺の悪魔になつた思ひで、愉快に彼を追ひ廻すのであつた。――私達は、顔を合せさへすれば必ずそんな
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