今眼前に思ひ描いた彼の姿、彼の罵声は、発病後の彼に相違ない。さうだ、追憶のつもりが何時の間にか私は妄想に走つてしまつたに相違ない。
「子供の時分傍で暮したので、やつぱり何処か似てゐるところがある。」
私のことを叔父に批べて母は、往々さう云つて笑つた。病人といふのではない、私の平常の怠惰と臆病さを云ふのである。その叔父は、おとなしさは私どころではなかつた、小心さにも爽々しさがあつた、そして他人《ひと》との応対などが円満だつた。たゞ時々、酷く気がふさいで、さうなると誰にも顔を見せず夜昼なく寝室にもぐつてゐた。
私は、何といふわけもなくうつかり叔父の狂態などを思ひ出した自分をセヽラ笑つて、勢ひ好く寝床から飛び起きた。そして、椽側に干してある蒲団を見ると、またそこに転がつてしまつた。
「気持が悪いの? 昨夜はまた飲み過ぎたらしいわね。」と周子が云つた。私は、彼女が口のにほひを験してやらうか? とでも催促してゐるやうな気がして好意を感じながら首を振つて、其処で嗽ひをした。
――病気ではなく、静かに叔父が引き籠つてゐる間はその部屋を訪れる者は、私より他になかつた。私が遠慮なく襖をあけると彼は
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