前では、たつた二人の職人が私の覚えにある井戸清の方法とは全で違ふ――低い足場で、軒先き位ひの高さの処に大きなバネを据えつけて、それに棒を結び、下の方に把手をつけ、二人がそれを握つて、声一つたてずに汗みどろになつて働いてゐた。
「見たゞけでも解るぢやないか、これでなければ力が入るわけはない。井戸清が歌ひながらに一つ突く間には此方のは五度も――」
「ほんとうに……」
「今は方々で井戸を掘つてゐるんだが、大概この人達の仲間ださうで――」
「うむ、さう云へば何処からも声が聞えないやうだ。」
「井戸清は、あの声が浜まで聞えると云つてよく自慢してゐたよ。」
「ほんとうにさうかも知れませんね――ずつと前には、天気の好い……」
 ふと私は軽い上目を使つて、麦笛に似た声で、
「天気の好い、静かな日には……」――春では明る過ぎる、秋では沁々とし過ぎる、夏・冬のどちらも知らない、追憶ではそれらのけじめを知らないたゞ麗かな日である、耳を澄ますと屹度どこからか伸びやかな何かの仕事の歌が聞えて来るやうな日である――「屹度何処かから井戸掘りの声が聞えて来ましたね。」と云つた。
「さうかしら。」と、母は興味なげで「井
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