戸清だけだつたのかしら、前には? 井戸掘りと云へば……」
さう云つて私の幻を醒まさせた。個有名詞を使はれると、ふとした私の夢は見事に破れて、私は愚かな常識家にならなければならなかつた。
「そんなことは、どうだか知らないが兎も角先には、そんな日には何時でも屹度何処かしらから、微かにあの声が聞へましたよ、とても、あの、よういこらア! の声は、高くて……」と、私は少しも此方の気分に母が誘引されないのをあきらめて、太く仰山な声で、
「余韻嫋々――」などと云つて笑つた。
「方々の家で、さぞ彼奴には酷い目に遇つたことだらう。」と、母は云ひ棄てゝ、今度はほんとに好い職人に出遇つたといふことを切りに悦んでゐた。――私も、この二人の職人の熱心さには、打たれて圧迫を感じてゐたのだが、あまり眼の前に居るので讚め言を発するのは控えてゐた。
「この人達はお酒さへ飲まないんだよ。」
――私だつて、どちらかと問はれゝばこの種の職人の方が好もしい、だが私は、何となくテレて笑ひながら、
「僕は……清だと聞いたんで、さぞまた家中が大騒ぎだらう……清と一処に酒を飲む……」
「馬鹿/\しい。」
「いや、吻ツとしたんですよ
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