ことやら?」
 そんな噂もされてゐるさうだつた。――私は、母と二人で悄然と寂しい井戸掘りの光景を眺めながら、それとなく聞き伝へた古い町の人々からの噂などを思ひ出してゐた。
「お前も一度清に煽てられたことがあつたけね。」
 さう云つて母は、含み笑ひを湛へた。
「煽てられたわけぢやないが……」と、私は思はず顔を赧くした。私は、その頃清と一処に初めて町の料理屋へ登楼して、終ひには一家に悶着を起させるに至つた程の或る失敗をしたことがあつた。私は、そんなことに触れられたくなかつたので、
「この間阿母さんから貰つた手紙には、たしか井戸清を頼んだと書いてあつたが……」と訊ねた。
「あれぢや困るんだが、古い出入りなんで私もそのつもりだつたんだが、今ぢや商売換へをしてしまつたんだつてさ……さすがに頼み手がなくなつたと見へて――」
「さうかね……」と、私は軽く点頭いた。私は、母の手紙を見て、此方へ帰る時には多少井戸清のことを考へてゐたが、そして彼等に古い頃と同じな退屈晴しを索めてゐたやうな気もあつたのだが、母から今そんなことを聞くと一層それ[#「それ」に傍点]を明らかに感じた。
 私達が腰をかけてゐる直ぐ
前へ 次へ
全78ページ中25ページ目


小説の先頭へ
文字数選び直し
牧野 信一 の一覧に戻る
作家の選択に戻る
◆作家・作品検索◆
トップページ 登録 ご利用方法 ログイン
携帯用掲示板レンタル
携帯キャッシング