当人は、思想の福[#「福」に傍点]を祈つてゐるのだと云つてゐたが、私の母以外の人々はそれを詭弁と認めて笑つてゐた。この老人は祖父の時には時々碁打ちに来たが、父とは往来で遇つても挨拶も交さなかつた。父が外国から帰つたといふことを聞き、「ぢや伴天連だらう」と云つて顔を反向けたさうである。職人を雇ふと、帰す時に「疑るわけぢやないが、紛失物でもあるとお互ひに迷惑だから。」と云つて、庭先きへ呼び寄せて帯をとかせるのが習ひだつたさうである。――この人が凝ツと、垣の間から此方を見てゐるのにも私は気附いた。「先生が――」と、私は母に合図した。母は私が生れた頃から、ずつと一ト月に一度宛この人の処に修身講話を聞きに行つてゐた。――母は、狼狽して椽側をかけ降りた。――先生は嘆いてお帰りになられた、と母は、暗然として私に告げた。
「そウうろツたア/\、総おどりだア、総おどり――」
 座敷では今や大乱痴気の態たらくで、一同の者が男女入り乱れて近在農村地方の何かの踊りを演じてゐた。清の倅は双肌を抜いで、先頭で大見得を切つてゐた。父は、その踊りは知らないと見へて独りだけの大胡坐で、
「やア、面白れエ/\!」と叫んで
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