ゐた。
「井戸清ばかりだつてさ、あんな騒ぎをして、あんな大がゝりなことをするのは!」
 母は、吾々と古いなじみの井戸清を冷笑して、爽々しさうに向ふを眺めてゐた。井戸屋と云へば私達は、彼等父子より他に知らなかつた。祖父は、井戸を掘ることが好きだつた。私が知つてゐるだけでも、小さな屋敷のうちに三つの新しい井戸を掘つた。そして、毎年夏になると賑やかにそれらの井戸換へを行つた。父は、普請好きで貸家などを五六ヶ所に建てた、だから矢張りいくつかの井戸を掘つた。(大震大火で家は凡て灰になり、井戸は悉く埋まつた――祖父達の遺業は何一つ残つてゐない。)――私は、遠い場所の時でも普請場へ出かけて井戸掘りの光景を見るのが好きだつた。子供の私は、吾家で井戸掘り作業が始まつてゐる間は慌てゝ学校から帰るのが常だつた。その頃の私の親しい友達は三人あつたが、皆な私と同じように井戸掘り見物が好きだつた。家の一町も前に来ると、木々の間から高い足場の立つてゐるのが見えた。二人宛向き合つて、それが三組か四組になつて(頂上には一人が鳥のやうにとまつてゐた。)順々に高く夫々の足場に陣取り、夫々真ン中を突き抜いてゐる一本の長い棒を
前へ 次へ
全78ページ中19ページ目


小説の先頭へ
文字数選び直し
牧野 信一 の一覧に戻る
作家の選択に戻る
◆作家・作品検索◆
トップページ 登録 ご利用方法 ログイン
携帯用掲示板レンタル
携帯キャッシング