妹の良子が四五日前東京から遊びに来てゐるので、私の弟などと一処に毎日海へ通つてゐた。海は、もうすつかりおだやかになつてゐたが、いざさうなると私は彼女達と共々に出かけるのが何だか厭で、誘はれゝば返つて何か口実をつくつて出かけなかつた。そして、この間うち海の静まるのを希つてゐた頃と同じやうに碌々として、変に口煩くばかりなつてゐた。
 良子が来てから、私は、周子と二人ぎりになる時間がないので口臭の不安をたゞす機会を失つてゐた。斯うなると何よりもこれが気にかゝつてならなかつた。そればかりが気になつて、良子となどは殆ど言葉を交したこともなかつた。他人の前に出ると、酷い頓珍漢になつてしまひさうな怖ればかりを抱いた。で、自分にとつて近頃の周子が一層有りがたい、掛け換へのない人物になつてゐる――そんな妄想に走つた。……慣れた剃刀を紛失した時と同じやうな不便さ、借着をして他人中へ出て行く時のやうな不安心さ、秘密を胸に蔵して告白しない苦しさ……そんな途方もない形容詞を弄んで一層気分をくすぶらせてゐた。――私は、おそらく幼年時分からの習慣通りに、週期的に襲はれるモノマニアが嵩じて、いつもの神経衰弱にかゝつて
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