「ぢや何故死んだつてえことを云はなかつたのさ。」
「だからさア、向ふではそんなことは訊きもしないんだよ。」
「ぢや代りでも……」
「さういふことは、もう向うでは当然としてゐて、みんな本人ばかりが行くところなんだからね、余外なことは訊ねやしないよ。机の上に写真を載せて入学試験を受けるのよりは……」
 私は、自分でも何と云つて好いか解らなくなつて「訊ねもしないことなんて云へば叱られるんだ。第一俺は、あの書つけだつて好く読んでゐやあしないんだ、たゞ行つたゞけのことなんだ、たゞ黙つて行きさへすれば好いと云ふんだから、たゞ黙つて……」などと烏耶無耶におちて行つた。
「誰もそんなことを云やしない――」
「いや、――まつたくの田舎者で、たゞヘイヘイと怖れ入つてゐるだけで、向方の云ふことだつて好く解らなかつた。」
「ぢや、どうせ碌なことはないでせう。」
「何も此方は悪いことをしたわけぢやないんだからな、それや安心だが。」
「そんなことまで気になるの……何といふ――」と、周子は、愚図と臆病と痴呆とを形容すべき最大級の言葉が見当らないので焦れツたさうに顔を顰めた。――「罰金を収めに行くんぢやあるまいし……」
「さうだ。――それにしては随分あすこの人は横柄すぎる。」
「忙しければ、何処だつてさうよ。」
「加けに云ふことが法律的の術語まぢりで、それが早くて/\、まるで叱られてゐるやうな気がした。この前に行つた時とは、人が違つたんだらう、あんなではなかつたもの。――奇妙に淋しイくなる気がした! 寒むウくなつて来る気がした、待つてゐる間、自分の、いやHの、……呼ばれるのだけを待つてゐる他には煙草の味もしなかつた、まるつきりのヌケ殻になつてゐる気がした、一体自分が生きてゐるんだか死んでゐるんだかわけの解らぬ気がした。」
「気がした――は駄目よ。気分の話は御免さ、稀に朝起きをしたんで居眠りでもしてゐたんぢやないの?」
「…………」
「でも阿父さんだつたら、気が短いからそんなに待たされたら如何だらう。」
「あそこに待たされてゐた人は皆な気をくさらせてゐたぜ、半日以上も待たされるんだからね。そのヤマザキといふお爺さんなんか、その前に一度来たことがあるんだが、何でもその、名前を呼ばれた時にうつかりしてゐて、忽ち帰つたことにされてしまつたんだつてさ。一二度呼んで返事がないと、直ぐに後廻しにされてしまふんだ
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