毒気
牧野信一
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【テキスト中に現れる記号について】
《》:ルビ
(例)碌々《ごろごろ》
|:ルビの付く文字列の始まりを特定する記号
(例)長い間|放《ほう》つて
[#]:入力者注 主に外字の説明や、傍点の位置の指定
(例)ごろごろ[#「ごろごろ」に傍点]
/\:二倍の踊り字(「く」を縦に長くしたような形の繰り返し記号)
(例)ホラ/\
*濁点付きの二倍の踊り字は「/″\」
−−
[#5字下げ]一[#「一」は中見出し]
「傍の者までがいらいらして来る。」
私が、毎日あまりに所在なく退屈さうに碌々《ごろごろ》としてゐるので、母も、相当の迷惑をおしかくしながら、私のために気の毒がるやうにそんなことを云つた。――「折角、みんなと一処に来てゐるのにね。」
「えゝ、だけど別段、――別段、どうもね、これと云つて……せめて海でもおだやかになつて呉れると好いんだがな。」と、私はぼんやり天井を視詰めたまゝ呟いだ。
「何んのために来たのだか、解りはしないね、これぢや――」
私達が、何か少しでも保養のためを持つて来てゐるんだ、といふやうに思つてゐる母は、私の所在なげな様子を嗤ふやうに云つた。三月に、私達は父の一周忌の法要の為に戻つて以来のことである。一時あんなに仲の悪かつた母と周子が、今度は何となく表面打ち溶けてゐるのには私は、安易に思つた。私が、間に立つて彼女達から夫々相手のことを告げられるといふやうな不快さもなくなつてゐた。――まつたく何の用事も持たずに私が、周子と汽車に乗つたのは今度が初めてだつた。
私の幼児の栄一には、私の母が何時の間にか好き祖母になつてゐた。だが私は、彼が時々大声をあげて
「おばアちやん!」と叫ぶと、奇妙に五体が縮む思ひに打たれた。そして、何となく母に気遅れを感じた。尤も私は、これに似た感情は嘗て父の場合にも経験した。栄一が生れた当座、吾家の者は殆ど口にはしなかつたが他家の人が来て、
「ホラ/\、これがお前のお爺さん!」などと云つて、赤児をその祖父の鼻先きにつきつけてゐるのを見ると、蔭で私は独りで酷くテレ臭い思ひに打たれた。何となく父に気の毒なやうな気がした。――今度も、それと殆ど同じ感情ではあつたが心の底に何か澄まぬ鬱屈があつてならなかつた。前には、簡単に説明(?)することも出来たものが、今度は何か回り道でもしないと、滅入り込んでしまひ
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