養しなければならない頭の状態に陷つて、とてもおちおちとは都會で小説などは書いて居られなくなつたので、大概の困窮には堪へられるから――と從姉妹達が先に立つて田舍行きをとり決めたのにも係らず、何か、田舍といふものに憧れる輕薄な夢が滿足されぬと見える欝憤が、次第にふくれあがつて、稍ともすれば病人であつた筈の亭主の方が、看護婦共の氣嫌をとらなければならない傾向だつた。
 隣りの酒匂《さかわ》村が隱岐の郷里で、はじめほんの一二ヶ月のつもりだつたので、自分の村の知合の農家を借りてゐたが、飯を食つてゐるところが表から見えるから始末が惡いとか、芋畑のふちで雨が降れば傘《からかさ》をさして這入るやうな風呂に浸《つか》れるものか――などと、東京に住んだところで、何うせ長屋風の家より他に知りもしない癖に彼女達は事毎に勿體振つた風を吹かせて、隱岐を痛ませた。
 秋のはじめであつた。――昔から隱岐の家と知合ひだつた國府津の塚越といふ漁家の主人が、彼を訪れた時、
「どうせ、これからは空いてゐるんだから、好かつたら使ひませんかね。」
 と貸別莊なるものをすゝめた。――町端れの海岸に向つた半洋風の十間もある眞新しい別莊で、部屋部屋には一通の仲々重味ある家具まで配置されてゐた。表側は破風型の門構えで、家のまはりは四方とも充分に庭をとつて、廣々とした芝生だつた。有名な市會議員がかくし女のために建てたのだが、その男が牢に入れられることになつて持ち扱つてゐたのを塚越が買收したのだ左うだつた。
 隱岐は、見るまでもなくたぢろいたが、女達は亢奮して
「玄さん、この家《うち》、家賃いくらなのよ、え? え? え?」
 などと追求した。――漁家といふよりも今では避暑客を相手に土地などを賣買してゐる塚越は、何處か宿屋の番頭泌みた人を見る眼に肥えてゐるといふ風で、洋裝婦人連の素姓を逸早く見拔いたらしかつた。子供の頃隱岐は、祖父や祖母に伴はれて東京へ赴く時、電車を降りるといつも、先づ玄八郎の家に寄つて小半日も遊んだことを覺えてゐる。今の玄八郎は同名の先代の長男で、たしか隱岐よりも二つ三つ歳上だつた。先代の時には二三艘の小舟とわづかばかりの蜜柑山を持つた半漁半農だつたが、今の玄八は二十代に鰤網で大儲けをして、傾きかけた家産を數倍に増したさうである。貸別莊なども數軒持つてゐて、近頃では下曾我通ひの乘合自動車や、小田原の驛の附
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