近に「ヲダハラ會館」といふカフエーを經營してゐた。しかし、そのくせ少しも才子肌のところも見えず、はなしをしてゐると、稍ともすれば意味もなくテレ臭さうにわらつて、顏を赤くするやうな悠長な人柄だつた。
「さあ、いくらといはうかね?」
彼は隱岐の方に向きをかへて、にやにやしてゐた。隱岐が默つてゐると、彼は婦人達に事更にいんぎんに
「いゝえ、もう住んで戴くだけで結構なんですよ。」
と氣轉を利かせた。しかし彼女達には玄八の好意は通ぜぬらしかつた。そんな場合に殊の他内心では見得を切りたがる隱岐は、重苦しくて返事も出來なかつたが、彼女等は易々と享け入れて、現像の暗室があるなどと悦んだりした。
だまつてゐても庭掃除の者が來たり、レコード屋が御用聞きにうかゞつたりするのであつた。――彌生は專門學校の英文科を左傾がかつたことを云つて自分から退學したのであるが、この頃ではけろりとしてしまつて
「ねえ、このぐらひの家に住むとなれば、何うしたつて着物から先きに一と通りはそろえてなくては、あたし表へ出るのも耻しいのよ。何處へ出るにも、海岸散歩の歸り見たいな恰好ぢや、いまどきいくら田舍だつて相當氣が引けるわ。」
追々とそんなことを口にしはじめた。すると細君は躍氣になつて
「あたしは、和服なら相當もつてゐるんだもの?――何も買つて呉れつて云やしないよ。……無責人な男だなあ!」
と滾した。
「矢つ張り、こゝの生活には和服がふさはしいわね。ちやんと、お太鼓の帶をしめて、……それは左うと、姉さん、春時分に江戸づまの金紗を持つてゐたわね、あれ、あたしとても氣に入つてんのよ、あたしに恰度好いぢやないの、あれ、見せてよ。」
「…………」
「大島だつてあるぢやないの。着ようよ。姉さんがそれを着て、あたしが、あの着物の袖を直してさ……そんな畫の方が好いな、第一、安心で――。」
「止めとくれよ、……」
「まあ、どうして――着せて呉れないの。」
「そんなんぢやないさ――チエツ!」
「あれも?」
と彌生は意味あり氣に眼を視張つた。
「あれも――もくそもありはしないわよ。トランクをあけて御覽! ――野郎のふんどしばかりだ。」
細君は女だてらに太々しくそんなことをほき出した。
すると彌生は、机に凭つてゐる隱岐の離室まで突き通る金切聲で
「意久地なし――素つ裸になつて暴れてやりたいや」などと怒鳴つた。
こん
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