ゞ一言、眠いのだ――と答へたのみ。そして、深夜になると突然凄まじい家鳴りが起つたので、宿の主がその寝室に来て見ると、彼は寝台の傍らに俯向に伏して、悪魔のために絞殺されてゐた。)
 ――さよなら。」
 と私は慌てゝ書いた手紙の封をしてしまつた。私はこの手紙をもつと続けたかつたのであるが、宇宙の神秘に目眩んで昏倒しさうになつたからである。私は、論理的抽象観念の超感覚圏から、悪魔に対する贖罪金を支払つて、精神生活上の最下級の安住地であるべき可見世界に渡りをつけて再び矛盾と闘ふべき情熱に欠けてゐた。私は、私の恩師がクラシカル・ヘレニズムの極美を讚嘆して、
「あれらの自己に対する信頼、現在の可見世界に於ける精神的創造の活動、祖先としての神々への純粋なる崇拝、芸術品としてのみの神々の讚嘆、力強き運命に対する帰依」――等の讚嘆詞に於ける神々を、鬼神《デモーネン》と訂正して、自身の蓋然思想《プロバビリスム》と争はずには居られなかつた。私は、私のファウスタスを再生せしむる為にはセラピスやイシスの秘法を受得して、彼を絞殺した文明宗教と戦ひながら、怪奇《バロク》な、そして華麗なる混沌芸術の地獄へ導かしめなけ
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