るばかりであつたが、孰れもあの村の部屋にゐたままの自分の姿だけである。それにしても様々な憧れに満ちた表情の動きは同じ顔かたちでありながら何と底深く洞ろな相違に充ちてゐることであらう! などと感心しながら私は、今床に打ち倒れてそんな夢を追つてゐる自分の表情を想像した。

     四

 次の晩私は机の前で、何うしても先へ進むことの出来ない書きかけの小説原稿を破き、
「あゝ、もう今年も暮れる。」
 などと呟いてゐるところに、友達の酒木と鱒井が訪れて、
「これは日本一の美酒である。」
「味つて、賞めて貰ひたい。」
 と一本の酒壜を差し出した。
「何といふ名前の酒?」
 と私が訊ねると、
「メイコン、迷へる魂、迷魂。」
 と得意気に答へた。
「何うして君はそのやうな銘酒を手に入れたの?」
 私は、ヨハンガストもどきの口調で質問すると、二人はそのいわれを詳さに説明したのだ。私は納得して、共々に健康を祝福する盃を高く挙げたのであるが、それはまあ何といふ不思議な酒であらう、常々強酒をもつて自認する私が、三つ目の盃を挙げた時は、もう魂が何処かの空へ飛んでしまつてゐた。
 二人は、私が近頃ファウスタス
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