いか、遠浅か?」と訊ねた。
「うむ。」
「何れ位ゐ?」
「さア、それは解らないが。」
「可成り遠くの方まで行つても丈が立つか?」
「立つよ。」と、Nは訝し気に点頭《うなづ》いた。
「賑やかゝ?」
「そりやア、もう!」
「行きたいなア!」
 彼女は、頓狂に独言した。
「ほんたうにお出でよ、男で泳げない奴なんては来てゐないが、女は随分多いからね。」
 Nが、あまり無造作に云ひ放つので彼女は、ヒヤリとしたが、また擽られるやうな切なさも覚えた。――「あたしだつて、一町位ゐなら泳げるのよ。」
「それぢやア、もう……。行かうよ。」
「でも――」と、彼女は云ひかけて、いつの間にか横を向いて、まつたく別のことでも考へてゐるといふ風に白々しくムツとしてゐる彼を、眼でNに示した。
「嫌ひなの?」と、Nは囁いた。飽くまでも彼の心境に気づかないNの朗らかな調子が更に彼女の苦笑を強めた。何と答へて好いか? 彼女は、わからなかつた。
 暫くたつて彼は、
「俺は、山が好きだ。独りで何処かの山へ行かうかな。」と、はつきり呟いてゐた。その態度は、彼女の徒らな臆惻を不安にも、裏切つた程の自信に充ちてゐた。

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