動かせたり、用もないのに手の甲で口をおさへる、とか、あの人の旦那さんは、うち[#「うち」に傍点]に向つて自分のことをあんな風に冷笑したさうだが、あの人の頭は、テツペンが槌で叩いたやうに平らで、加けに後頭は金槌のやうに突き出てゐる、あんな格好の頭から正当な批評が出る筈はない、それにしてもあの人は帽子を買ふときには随分苦労することだらうな! とか、またあの人は、とても酷いワキガで、いつか自分が初めて対談した時に、あまりのことに如何しても我慢しきれず思はず横を向いて、それとなく袖の下に鼻を覆つたところが、自分のそれをあの人は承知してゐて且つ恥ぢてゐると見えて、直ぐに此方の動作を悟つて、それ以来何となくよそ/\しくなつたかと思つたら、成る程ね、蔭ではそんなに自分の悪口を云つてゐるのかな、へえ……などゝいふ風に、途方もない人身評に想ひをはせてゐると、いつの間にか、身を粉にしても反向つてやりたかつた程の敵意が、奇妙に何処かへ飛んで行つてしまふのであつた。
現に彼女は、彼の母と同居してゐた頃、母から意地悪るをされて大変口惜しがつて、それがもとで蔭で彼と争ひをした時などは、終ひに、
「何アんだ、ワキガ!」と、彼の母のことを冷罵し返して、勝手に噴き出したりしたことがあつた。だが彼女は、相手が多少でも自分に好意を見せると、空々しい程の好意の返礼を胸に抱いて凡てを美化して考へる、人懐こい弱味を持つてゐた。
その種の彼女の独り想ひや独言癖は、彼と同居するやうになつて以来、何も彼が彼女のことに取り合はないためか、時々奇妙な意地悪るを施されるのに怖れをなしてか、一層内にひどくなつてゐた。彼は、夜など彼女と襖を隔てた部屋に坐して、縫物などをしてゐる彼女が何か口のうちでぶつぶつと小言を呟いでゐるのを聞いて、わけもなく竦然とするやうなことに屡々出遇つた。
「煩いなア!」
そんな時彼は、大声を挙げて怒鳴つた。と、彼女も吃驚りしたやうに、
「アラ、聞えたの?」と、云つてうつかりしてゐる時があつた。そして、また暫くたつと忘れたやうに、ブツブツと始まつた。
「頼りない夫を持つてゐるために、浅はかにもあんな孤独病に陥つたのかな……」
或る時には彼女が、彼に関する不遜な独言を呟いてゐるのにも気づかず彼は、そんな風に聖者ぶつた感想を浮べたりした。
「…………」
彼は、気を取りなした彼女が、何か話しかけた
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