時、私は、
「馬鹿ツ!」と叫んだ。……「誰が教へたんだ。」
「知つてゐたつて好いぢやありませんか。」
「感じが悪いよ。三ツ児がそんな芸当をやるなんて……。不自然だ、イヂけた感じがする、第一正当な発音が出来ない。」
周子が自分の里《さと》などへ帰つて、Hに自分の名を云はせて母親などを感心させたりする光景を私は想像した。そしてHが称ふ音《おん》が、滑稽に響いて皆が笑ふであらうことを想つて恥を感じたのだ。だが私は、威厳を保たうとしてさう[#「さう」に傍点]と正直には云はないのである。私は一刻前以上に口を極めて、偉さうに意味あり気な言葉ばかりを連ねて周子を非難した。
「そんなに悪いんなら止めませうよ、二三日口にさへ出さなければ直ぐに忘れてしまひますよ。」
「止して貰はう。」と私は怒鳴つた。「俺の名前はタキノ・シンイチだア。」
翌朝周子は、
「あなた昨夜は随分酷く酔つたわね。後ろに反つて椅子から落ちたのを知つてゐて? 名前のことで憤つたわね。だけどほんとに可笑しいからもう止めませうよ。」と云つた。
「うむ。」と私は点頭いた。
新聞に眼を曝してゐた周子は、
「おやツ!」と軽く笑つた。――「
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