ないか……」
 渡し場の船頭がなれ/\しく言葉をかけ、どうやら前の晩の酒場の友らしいのであるが、わたしには一向に見覺えもないのであつた。浚渫船のクレインの響きが港一杯に鳴り渡り、目醒ましい水煙をあげてゐた。彼は、おそらく前の晩の容子と、あまり違つて白々し氣なわたしを妙に感じたらしく、折角はなしかけた腰を折られて、水煙の方へ眼を反らせながら、せつせつと艪をおしてゐた。鴎は、わたしのふところから首を出して、空を見あげてゐた。――わたしは、三崎の宿の、親戚に、島の夜を過ごすのが常だつた。大きな網や舟を持つてゐる漁家で、どんなにわたしが困つても、宿賃をとらうとしなかつた。そのくせわたしは、醉ふと遠慮もなくなつて、また來たぞ/\!などと、おそらくタツノオトシゴが口を利いたならば、そんな聲でゝもあるかのやうな、ぶつきら棒な、横柄な調子で鳴り込むのであつたが、その聲の強さうなのに似合はず、見るからにわたしの姿は相撲が弱さうであるためか、反感などを抱くけしきもなく、專ら珍客としてもてなすのであつた。
 どうやらわたしは、島の春に有頂天であるかも知れぬのであつたが、白々と醒めると海原の蒼さが眼にも滲み、
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