しぼつて、ほろゝん、ほろゝんの唄などをうたひ出した容子が、鷹揚な機關手の眼《まなこ》に餘程異樣と映つたのであらう。
 ――わたしの、小田原にゐる友達の彫刻家である、何處か微かに白秋さんに似てゐるやうな牧雅雄君は、今でも陶然とする度毎には、おゝ、ほろゝん、ほろゝん、春はほうけて草葺の――といふ唄が名人で、わたしは、その唄のうたひ振りを餘程以前から、彼に習つてゐたのであるが、牧君がうたふと何んな慾深な醉拂ひでも、根生曲りの和尚さんでも、みんな思はず、ほろろん――として、丁字の花の香りに氣づき、煙つた月を見あげずには居なかつたけれど、では小生が――とわたしがあとをつづけようとすると、そんな人は居る筈もないのであるが例へば單に修辭句としての戀人でさへもが、竦毛をふるつて夢から醒めるのが常習なのである。
 それはさうと、わたしは當今、不圖した機會から、思ひも寄らぬ三崎の町に、たつたひとりで住むことゝなり、誰の竦毛を憂ふる心配もなく、ほろゝん――の唄をおもひ出し、春の波に溺れようとしてゐるのである。島への渡し舟は、片道二錢で、夜は十時限りである。
「あゝ、また乘り遲れたか!」
 わたしは城ヶ島の居
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