ぞ――勝手に彼女の意志による接吻を享けるが好いや。」
 すると一同の者は、さつと私の周囲から手を引いて、羊のやうに首垂れ、口々に、
「それは無理だ。」
「おれ達はこんな震へを持つてゐることも知らないで……」
「お前が何時も傍にゐるんで機会がないよ。」
「同じ日本語でもおれ達のそれは通訳がなければ役に立たぬのを知つてゐるくせに……」
「……おゝ、接吻! 考へたゞけでもおれは昏倒しさうだ。」
「…………」
 などゝ不平さうに呟いだ。
 私は、わけのわからぬ権力者であるかのやうに、尊敬されたり、呪はれたり、得意にされたりしながら花束のグルウプにおされて、ロータスの店に着いた。
 私は中央の樽に腰をかけ、水のコツプを手にしてゐたが、私の腕にとりすがつて、メソ/\と泣いてゐる憐れな画家や、手紙をつきつける者や、医者に診察を乞ふ患者のやうに露はな胸を突きつけて、この気たゝましい心臓の音を聞いて同情せよ――などゝ攻められて、一杯の水を飲む猶予さへも見あたらなかつた。

     三

「おゝ、車の音が聞こえるぞ!」
 やがて一人の男が斯ういつて耳をそばだてると酒場は忽ち水を打つたやうに寂として、ある
前へ 次へ
全10ページ中6ページ目


小説の先頭へ
文字数選び直し
牧野 信一 の一覧に戻る
作家の選択に戻る
◆作家・作品検索◆
トップページ 登録 ご利用方法 ログイン
携帯用掲示板レンタル
携帯キャッシング