景気好く酒でも飲んだら案外元気がつくでせうが。」
「……僕もそんな気がするよ。」と私は決心した。仕上げの済んだ面を、彼がそれぞれ紙につゝんで、私に渡すに従つて、私は筆を執つて宛名を誌した。
「えゝ、赤鬼、青鬼――これは橋場の柳下杉十郎と松二郎。お次は狐が一つ、鳥居前の堀田忠吉。――いゝですか、お次は天狗が大小、養漁場の宇佐見金蔵……」
御面師は節をつけて夫々の宛名を私に告げるのであつた。私は宛名を誌しながら、次々の註文主の顔を思ひ浮べ、あの四五人が先づ最近の血祭りにあげられるといふ専らの噂だがと思つた。
何十日も倉の中に籠つたきりで、たまたま外気にあたつて見ると雲を踏んでゐるやうな思ひもしたが、さすがに胸の底には生返つた泉を覚えた。――随分とみごとに面の数々がそちこちの家毎に行渡つたもので、家々の前に差かゝる度に振返つて見ると、夕餉の食卓を囲んだ灯《あかり》の下で、面を弄んでゐる光景が続けさまに窺はれた。何処の家も長閑な団欒の晩景で、晩酌に坐つた親父が将軍の面をかむつて見て家族の者を笑はせたり、一つの面を皆なで順々に手にとりあげて出来栄えを批評したり、子供が天狗の面をかむつて威張つ
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