に、そのまゝさうして潰れてゐるのさへ、不安になつて来るのだ。
「恋に焦れて悶ふるやうに――恋に焦れて悶ふるやうに――」
本箱の中のオルゴウルが、アウエルバツハの酒場の歌を奏しはじめたりするのであるが、傾ける耳などを持ち合す筈もなく私は、全く毒を嚥んだ鼠に等しく七転八倒、正しく恋に焦れて悶ふるやうに狂ひ回つた上句、鎧櫃の在所を手探り求めると、夢中で、重い兜を頭に載せ、鎧を身につけ、そして黒い鉄の面あての中に顔を埋めて、吐息を衝くと、はじめて我身の生きてゐたことに微かな知覚を持つのであつた。――云はゞ、風巻に煽られようとする屋根が、おさへの石で、静つたのを見て安堵の胸を撫で下す音無の心境であらう。
そのまゝ私は息を殺して、鎧の中で夜明けを待つことが多かつたが、或る晩のこと、例の如き大暴れの後漸く鎧の中に収つて、吻つとして、眼をあいて見ると、私は、隈なき月の光りがさんさんと降りそゝいでゐる河原のふちに立つてゐる自身を発見した。あまりの激しい恐怖と苦悶との闘ひのために、私は無意識のまゝに、こんなところまで転げ出てしまつたものと見える。
面当《めんあて》の大きさは私の顔の凡そ倍大であつたか
前へ
次へ
全34ページ中19ページ目
小説の先頭へ
文字数選び直し
牧野 信一 の一覧に戻る
作家の選択に戻る
◆作家・作品検索◆
トップページ
登録
ご利用方法
ログイン
携帯用掲示板レンタル
携帯キャッシング