の男は、アツ! と叫んだかと思ふと、その瞬間、もう姿は消えてゐた。裏側の軒下を流れる悠やかな河のあたりに、巨大な物体が転落した音を私は聞いたが、その時私は瓦止めの作業用で運びあげられてゐた鉄瓶大の土塊の一つを握つてゐたものと見える。そして、そんな騒ぎは知らずに、大方二人の男の働き振りに怠惰の模様でも窺はれたのを責めでもするために、梯子を昇つて来た音無の山高帽子が、ぬツと軒の上に現はれたかと見た刹那、私の手から飛んだ濡りを含んだ土塊が、彼の面上に真正面から衝突してゐた。
 そして私は、表の庭の泉水の上に巨大な怪魚がはねたかと思はれるような音を耳にしながら、即座に天窓の口から納屋に飛び降りると、綱を引いて暗闇とした。――凡そ、その活劇は一分間に足りぬ時間の中で遂行されたのであつた。――私は、早変りもどきの慌しさで、脱いだ紙製の鎧を米俵の向ふ側に丸め込むがいなや、梯子段から廊下を一足飛びに飛んで、自分の部屋へとつて返すと、扉に鍵を降して、ベツドにもぐり込んでしまつた。
 ……「寒いぞ/\、凍えてしまふわい、着物を借して呉れ、着物を……」
 池の方角から悲愴な声が響いた。
 ではやつぱり夢では
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