引きうけた、車は直ぐに回せるのか。」
チヨツ! 耳ざはりだな、――好い加減に止めないかな、阿父さん! 僕は、今折角気分が、月に走り始めたところなんだからさ、少しの間、静かにしてゐて下さいよ。
*
「まア、煙草の煙りで一杯だね。」と云ひながらカル子が自分の部屋に入つて来た。これから起き出てみようと思つてゐたところである。電灯が明るく点つてゐた。
「夜だぜ。」
「好いんだよ、今晩は。遊びに来たの。」
「迷惑だな、これから勉強に取りかゝらうとしてゐるんだのに。」
「悦んでゐるくせに――」
「…………」
自分は、壁へ眼をそらした。ほんとうに迷惑な気がしたのである。
カル子は、自分の机の前に来て静かにしてゐた。自分は、其方を向かなかつた。
「まア、偉さうなことを書いてゐる。これが勉強なの。」
カル子がくす/\と笑つた。書き散しの紙が其処に置いてあつた。
別段、自分は、慌てもしなかつた。前の晩に、何か詩を書かうと企てたのだが、勿論何の言葉も浮ばないので、徒らに丸や四角や三角を書き散して置いたのだ。
「偉いだらう。」と、自分は落ちついて云つた。
「中学生の試験のおさらひのやうだわ。」
「どれ/\。」
カル子の無遠慮さに自分は、内心肚を立てゝゐたが、遠慮してゐたのである。
立方体や円錐体などが無茶苦茶に書いてあつた。
――規矩準縄
[#ここから3字下げ]
△規――円くするブンマハシ
△矩――四角にする定木
△準――平坦にする定木
△縄――直くする器
[#ここで字下げ終わり]
そんなことが書いてあつた。
「何でもないぢやないか、何が偉さうさ、こんなもの。」
自分は、そツ気なく云つた。
「精神の修養?」
カル子は、負けずに皮肉に云ひ返した。自分を、厭がらせるつもりらしい。
「たゞ――」と、自分は煩はしさうに力を込めて云つた。「たゞ――書いたゞけなんだよ、意味はないんだよ。」
「ぢや、お得意の詩でも書けば好いのに。」
「煩さいなア!」と、自分は怒鳴つた。自分は、今更のやうに己れの愚を見せつけられた肚立しさを覚えたのである。
カル子は、ムツとして出て行つた。
自分は、そこに落ちてゐる紙片を拾つて、仰向けの儘読んだ。同じく昨夜自分が、あまりの手持ぶさたで、徒らに書いた紙片である。
――蓮月尼は、和歌を以て有名なれども俳諧にも亦堪能にして
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