ノは昼夜の別なく怖ろしく明るい一つの灯火が点じてあつた。凸凹な鏡に歪んだ己れの姿が、鏡は鏡を反映して無数に映る。この牢に投ぜられたものは大概三日目には白痴になつてしまふのである――そんな即席のお伽噺を彼は、いつか子供に聞かせて、その先はまた出たら目に、こゝに投ぜられた一人の青年が如何してこの牢を破つたか? などといふことを、「破る」あたりから厭々ながら冒険小説風に話したりしたこともあつたが、その空想の牢獄を更に細かく構想したりすることもあつた。
 或る日彼は、あの昔の錆びて使用に堪へないピストルを懐ろにして「呑気な自殺者の気分」を味ふ為めに、秘かに林間を逍遥したが、毛程もそんな気分は味はへずに、テレて勝手に赧い顔をして直ぐに引き返した。――またアメリカのFに出す手紙の文案を二日も三日も考へて、断念したり、静岡のお蝶を訪れて大遊蕩を試みようなどと思ひ、秘かにその資金の画策を回らせたり、アメリカ行の夢に耽つたり、時には小説家を装つて、家人を退け、近所に間借りを求めて、物々しく机の前に端坐して、顔を顰めたり、した。
 前の森では、夜になると梟がポーポーと鳴いた。あまり英一が騒がしく暴れると、
前へ 次へ
全109ページ中106ページ目


小説の先頭へ
文字数選び直し
牧野 信一 の一覧に戻る
作家の選択に戻る
◆作家・作品検索◆
トップページ 登録 ご利用方法 ログイン
携帯用掲示板レンタル
携帯キャッシング