ト行つて、毛虫になつてうねうねと逼ひ寄つて来て、
「ヲダハラの阿母さんは安心だよう……まア、斯んなおとなしい悴をもつて……」
 あゝ、もう堪らないなア! あゝ、厭だ/\! と思つて、彼が身を引く途端、ポンと彼女の営養不良の薪《まき》のやうな手が、彼の肩先をさするやうに叩いて、彼をゾツとさせた。
 彼は、この中婆アさんの歓心を買はうとしてゐる己れの所置に迷つた。
(ヲダハラの阿母さん!)
 彼は、そつと繰り反した。周子の母に、遠回しな厭がらせを浴せられて、今迄自分が母に抱いてゐた反対の心境が拡けたなどと思つたのも、みんな苦し紛れの痴夢で、斯うあくどく残虐な手に攻められると、一瞬間前の余裕あり気な心持などは、鵞毛の如く吹き飛んでしまひ、腑抜けた自分が「ヲダハラの阿母さん。」と、この中婆アさんの間で、夫々彼女等の命ずるまゝに、泣いたり、笑つたり、舌を出したり、出たら目に踊り狂ふ、魂のない操り人形である己れの所置に迷つた。道徳的な潔癖で母に義憤を覚えたのでもないらしい、また感傷が、彼女の幸福を祈つたのでもないらしい……(カツ! 周子の母親に肩を叩かれて、ゾツとする類のものか!)
「…………」
「お前は、なかなか感心だよう。」
 カツ! と、風船玉のやうな己れの頭をはぢいて、彼は――この「悪婆」の面上に唾を吐きかけてやる! やれる境遇か? やる[#「やる」に傍点]代りに、こゝで己れの母をカツと罵るか? 罵れば、代りにはなりさうもない、心から己れの母を罵つてしまひさうである……何と、この「悪婆」が手を叩いて嬉ぶことであらう、相手が此奴でさへなければ、自分は声を挙げて自分の母を罵れる、そして清々する……いや、鏡に向つて、同じ程度にこの二人を罵つてやりたい、いや、鏡では、自分の馬鹿面が写つて噴き出してしまふだらう。天に向つて演説するか? 星を見れば、斯んな亢奮は、また鵞毛になつて飛散してしまふだらう……(あゝ、俺は、とてもこの眼前の妖婆には敵はない――)
 そつと彼は、にやにやしてゐる「妖婆」の横顔を眺めると、間もなく此奴に酷い幻滅を覚えさせる程のボロが現はれて、と忽ち妖婆は悪鬼となつて、胸を突かれ腕をとられて、子供諸共戸外にほうり出されてしまひさうな危惧を覚えて、――ふと、その危惧が反つて思はぬ安易に変つたり、自分の母からの白々しい通信に滑稽な戦きを持つたりした。――彼は、幼稚な
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