Sつたりするといふ話だつた。優しい賢太郎が、大変困つて、電報配達になつてついこの間まで彼女を養つてゐたさうである。
「お前なんか、いくら働きがないと云つたつて未だ/\安心ぢやないか、家の親爺なんか……」と彼女が、調子づいて何か云はうとすると、
「お母さん。」と、傍から賢太郎が、たしなめた。
「僕だつて、子供ぢやないんだからなア。」
「さうとも/\、立派なお父さんぢやアないかよう。」
 斯んな風に彼女を、悦ばせて彼は、悠々としてゐたかと思ふと、急に山羊のやうに哀れな声を振り絞つて、自分には実際的には何の働きもないし、徒らに齢ばかり重ねて、この先き一体どうなることやら、自分のやうな人間が一朝にして貧乏人になつてしまつたら、それこそ水に浮んだ徳利も同様だ――。
「あゝ!」などと女々しい溜息を衝いて、忽ち彼女の顔から、にやにや[#「にやにや」に傍点]を奪つて、その心を白くさせてやつたりした。さういふことを云ふと彼女は、見事に早変りをして、娘を売物にしてゐる悪婆のやうに冷淡になるのであつた。そして若し、彼がこの時後架にでも立たうものなら、狭い家だから聞えるのである、そこで子供等と遊んでゐる彼の四歳になつたばかりの英一を指差して、
「この子は、うちの子供達と違つて、悧口だぞう――、あの顔の大きいこと……」などと憎々しく呟いだ。悧口だぞう! は勿論悪意だつた。
 後架から戻つて来ると彼は、また七面鳥になつて、
「何アに、△△の土地だつて未だ残つてゐるんだ、近いうちにあいつを一番手放しさへすれば……」
 そんな風に、止せばいゝのに思慮ある肚の太い実業家が何事かを決心したやうに唸つたりした。――すると、また彼女も、彼の予期通りに、忽ち笑顔に返つて、
「しつかりおしよう、タキノやア。」と、薄気味の悪い猫なで声を出して――まつたく、斯んな種類の中婆アさんといふものがある[#「ある」に傍点]んだな! と、彼を変に感心させて、
「お前さへしつかりしてゐれば、大丈夫だよう、いくつだと思ふのさ、ほんとにお前はよう……ほんとうなら阿母さんは、クヽヽヽヽ。」と彼の悪感をそゝる意味あり気な忍び笑ひをはさんで「クヽヽヽヽ、もう隠居なんぢやないかねえ、クツクツク……、お前は未だカラ子供なんだねえ、なんにもクヨクヨすることなんて、ありやアしないぢやアないかねえ……」
 その声色が、見る見る飴のやうに甘く伸び
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