から、行つてくれ、一処に。ひとりぢや厭だ、厭なんだ、さつきから云つてゐたことは、ありやアみんなカラ元気なんだ、あゝ……」
――しやア/\と、洞ろな眼つきで口笛を吹いてゐた彼の眼から、ぽた/\と涙が滾れ出た。……しまつた! と、彼は気づいたが、面白いやうにハラ/\と涙が滾れ落ちた。
「…………」
ふツと気づくと眼の前に居る母の眼にも、涙の珠が光つてゐた。まだ、彼は、母のそれをキレイに、感じなかつた。そして彼は、自分で自分を「邪魔」にした。
[#5字下げ]四[#「四」は中見出し]
雪が降つてゐた。
彼は、隙間のないやうに無数の鋲で、三方の幕をしつかりと圧えた。――静かな午後だつた。賢太郎が拵えかけたカーテンは、短かゝつたので、悉く白い布に取り換えたのである。
風がなかつたから、湿つた布は凝ツと、この変梃な部屋を取り囲んでゐた。彼は、行火に噛りついて、トランクの中から取り出した金製の古いカツプで、チビチビとウヰスキイを舐めてゐた。
――「それぢや、原田では、この先き如何するんだらう、家《うち》がなくなつては?」
いつか彼の母は、この家に就いて一寸斯んな心配を洩したことがあつた。
「どうするのかね……」
「割合に大家内ぢやあるし――」
「原田の親父は、この頃何ンにも仕事がないんださうですぜ。」
「まア、気の毒な――」
あまり気の毒らしくもなく、彼の母は苦笑を洩した。その後彼が、この家に就いて周子に訊ねて見ると彼女は、
「うちのお父さんが、また買ひ戻したんですツてさ。だから今度は、あたし達は相当の家賃を払はなければならないでせうね、うちのお母さんが、時々あたしにそれとなく云ふわよ。」などと云つた。原田は、この頃一文の収入もないといふ話だつた。
「毎日あんなに忙しさうに出歩いてゐるのに、一体何をしてゐるのさ。」
決して訊ねたくはなかつたが彼は、彼女に、軽蔑的な笑ひを見せて訊ねたりした。
「人が好いから駄目なのよ、うちのお父さんは――」と、彼女は云つた。
「未だ半月しか経たないんだから、金はあるだらう、あの?」と、彼は云つた。引ツ越しの時前の借家の敷金を三百何十円か、彼女は彼に断りなく領してゐることを、彼は知らん振りをしてゐたが、忘れてゐたわけではなかつた。
「ホツホツホ。」と、彼女はわざとらしい下品な笑ひを浮べて「随分、あなたは細いのね。――もう三十円ぽつ
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