といふほど九郎の鼻柱に突き当つた。
「アツ危ないツ!」
 と私は思はず自分から叫んだが、もうその時、泥酔のあまり大活躍をして既に大分息苦し気であつた九郎はウーツと唸つたまゝ静かに無何有の境の人であつた。
「九郎が眼を醒して、貴方であつたかといふことが解ると後が怖ろしいから……」とお妙になだめられて、私は引きあげた。
 翌晩から九郎の姿は決してこの店に現はれなかつた。――そして九郎は、隣村の居酒屋に現はれて、青い顔で、R村(私達の――)で俺は烏天狗と闘つた! などといふ話を吹聴してゐるといふ噂を私は聞いた。
 鎧の中に私が入つてゐたことは永久に九郎に告げる者はあるはずはない。九郎は、何時まで天狗の幻に怯かされることだらう――と思ふと、私は幾分気の毒な思ひに打たれ、また私自身も不意と奇怪な夢に誘はれて不気味になつたりしたが、かというて九郎に真実を打ち明けようとするほどの決心も起らなかつた。
 九郎が姿を消して以来お妙の酒場は夜ごとに繁昌した。――そのうちにR村にもこんな噂がひろまつた……あそこの家の具足は、夜になるとひとりでに動き出して、村を彼方此方と散歩をする!(それは、臆病な私が、何時
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