この村には、綺麗な丘があり、夢のやうに深々とした狩に適した森があり、釣を誘ふさゝやかな小川が流れ、この賑やかな酒場があつて、何の私に不足があるものぞ! であつた。森の獲物も海の獲物もない荒天続きの上句食に窮すれば、私は何んな責も覚ゆることなく忽ち飛鳥の如き掠奪者とこの身を変へることが出来る。そして私は馬を飛ばせて崖道に添ふて村の棲家に引きあげて来る時などは、憧れの中世紀に突如この身を見出したかのやうな夢心地に走り、面白さのあまりに恍惚とする位ひであつた。
「たゞ、この私の、時折諸君の前にも示してしまふ――この憂ひを含んだ表情は……」
と私が執達吏に弁解しかけると、番が廻つてゐる私が珍らしくも調子に乗つて歌をうたひ出したのか! と早合点して、一勢に腰掛の樽を叩いて拍子をとり、声をそろへて、
「恋に焦れて悶ふるやうな――恋に焦れて悶ふるやうな――」
と合唱し、
「やあ、聴かう/\、町から村へ流れ込んで来た俺達の親愛なる吟遊詩人《ジヤグラア》の旅物語を聴かうぢやないか。俺達の腹がルウテル博士のそれのやうに、ぽんぽこぽんにふくれあがるまで歌つて歌つて歌いぬいて呉れい。」
と八方から所望追
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