、紋章の代りに私が花文字をもつて書き誌したボール紙の楯であつた。
「何でえ、人騒がせをしやがつて、そんなことでお終ひか、戯談《じようだん》ぢやない。」
「あの不良青年共は、あんな騒ぎをして俺達の眼をごまかして、逐電でもしてしまはうといふ魂胆だつたのかも知れないぞ。」
「今夜は何処の家でも、厩の扉には番犬を繋ぎ、其処の河舟には鎖を繋いだ上で、眠ると仕様ぜ。」
「あの楯に誌してある文句は、何でも、俺達と一処に飲まう、飲んで騒いでゐるうちにはやがて歌も歌へるやうになるだらう――とかといふ意味ださうだが、あいつ等は何時まで経つても歌一つ歌へさうもないのにヤケツ腹になつて、倒々同志打ちが始まつてしまつたさうなんだつてさ……」
「同志打ちなら同志打ちで、何とか綺麗な景色を見せて呉れるかと思つて来て見れば……」
村人は口々に斯んな憎態な棄科白を残して、立ち去つて行くのであつたが私達は、返答の一つの言葉も忘れて一つの楯の下に気を失つたまゝであつた。
それから暫く経つて私は、居酒屋の娘と妻に両方から腕を執られて立ちあがつた。そして娘と妻の両端には剣を杖に擬した二人の学生が辛うじて支へられてゐた。
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